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大石田町
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おおいしだものがたり 第十九話 中世から近世初頭の館主と関係する文化財について

更新日:2016年3月25日

 大石田町内には、室町時代から江戸時代初めのころの城館跡(いわゆる「楯跡」)が、13ケ所確認されています。そのうち、館主が言い伝えられている城館は、7ケ所以上あります。
 今回は、井出館主大田左仲(おおたさちゅう)と今宿小屋館主安食大和守(あじきやまとのかみ)に関係した文化財を紹介します。

1.普門寺の木造聖観音菩薩坐像(町指定有形文化財)

 井出にある普門寺の本尊は、木造聖観音菩薩坐像です。この像は、菩薩像であるにもかかわらず、如来像(にょらいぞう)と同様の納衣(のうえ)を着ている点に特色があります。そして、納衣部に胡粉(ごふん)を盛り上げて花文や唐草文を、そして衣部をやや厚めにあらわしており、これらの特徴は、南北朝・室町時代に流行したつくりとなっています。
 また、この像は、わずか高さ14センチメートルの小像ですが、室町時代の仏像としては出来ばえが大変すぐれています。普門寺を開基した大田左仲の念持仏(個人の仏像)であった可能性が高く、普門寺創建以来の本尊像と考えられ、大石田町の歴史を考える上でも重要な文化財です。

2.普門寺の大田左仲位牌(町登録有形文化財)

 普門寺の開山は、黒瀧向川寺十三世繁松林茂(はんしょうりんも)、開基は井出館主の大田左仲です。開基者は、最初に大石田町の町立て(都市計画)を行った領主と伝えられ、今から490年ほど前の大水4年(1514年)に没しました。この位牌は大田左仲のもので、材質は桂で江戸時代に作られたものです。黒いタール状の粉末に覆われ、判読が難しい状況となっていますが、ところどころに朱墨が現れ、かろうじて文字の跡をたどることができます。この位牌は、大田左仲が井出館主として、普門寺開基者として、歴史上実在の人物であることを証明する唯一の史料であり、貴重な文化財と言われています。

3.善翁寺の浄土三部経(町指定有形文化財)

 木版で巻子(巻物)仕立て、浄土三部経(仏説無量寿経、仏説観無量寿経、仏説阿弥陀経)3部4巻から成っている経典です。
 今宿善翁寺の寺宝として伝来され、4巻とも袖の部分にこの寺の開基者である安食大和守光信が「現世の安穏、後生善所の為め」に、慶長14年(1609年)に奉納した親書の願文があります。料紙は、上質の鳥の子系の紙を用いており、保存状態も良好です。安食大和守光信は、山形の最上義光の片腕として活躍し、土生田館(現村山市)を中心に5000石を領し、今宿小屋館に隠居したと伝えられています。

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総務課 総務グループ
〒999-4112 山形県北村山郡大石田町緑町1番地
電話:0237-35-2111 ファックス:0237-35-2118

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