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大石田町
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おおいしだものがたり 第二十話 歴史的に意義の深い史跡について

更新日:2016年3月25日

 大石田町内には、大変意義のある史跡があります。その中で、今回は、八幡町地内にある角二山石器時代住居跡群」と次年子地内の「次年子館」、鷹巣地内の「伝浄海墳墓」について紹介します。

1.角二山石器時代住居跡群(県指定史跡)

 昭和45年、県立最北専修職業訓練校(現在の県立最北高等技術専門校)の新築に伴う整地作業の際に発見された、旧石器時代及び縄文時代の遺跡です。特に、数多くの細石器が出土し、本州と北海道、沿海州とシベリアをつなぐ旧石器時代末期細石器文化の遺跡として有名です。
 また、縄文時代前期末の典型的な長方形の竪穴式住居跡を含む円形竪穴群が発見され、縄文時代前期の住居跡群として全国的に知られた遺跡です。
 この住居跡を元に町教育委員会では、現在縄文時代の住居(家屋)と倉庫を1棟ずつ復元し、一般公開しています。

2.次年子館(町登録史跡)

 この楯は「台屋城」とも呼ばれ、次年子川左岸の台小屋と荒小屋の集落の間に伸び出た舌状台地の先端部に築かれた単郭の楯で、楯東面の縁を廻る道からの高さは約30数メートルあります。現在の村山地域と最上地域を結ぶ山道の重要な場所に位置している楯です。
 この楯が築かれた年は明らかではありませんが、発達した畝堀や畝状竪堀、虎口、土塁など小規模ながら防備を固めたその構築は、戦国期の構造とみられ、この地の土豪がむらの楯として有事に備えたものと考えられています。それら特徴ある構造が現在までよく残っており、この地の歴史を語る楯としても貴重なものです。近年の研究によれば、次年子館は関ケ原の合戦のころに、最上地方から侵入する敵を防ぐために構築されたとする説があります。

3.伝浄海墳墓(町登録史跡)

 この墳墓(お墓)は、鷹巣のアヲハタ株式会社山形工場の駐車場から東へ200メートルほど行った杉林の中にあり、四方には幅4メートルから5メートル、長さ29メートルの堀が巡らされています。
 研究者からは「堀の造り方から16世紀前後のもので、規模的には東北地方でも最大の墳墓ではないか」という評価がなされています。浄海については、大石田町社会科教育研究会が発行した『わたくしたちの郷土』によれば、次のような言い伝えがあります。
 江戸時代と思われますが、雲水浄海が駒籠方面から当地に旅してきたところ、病気のため不動院に寄宿していました。とうてい回復することができないと悟った雲水は生きながら成仏しようと考え、現存の墓をつくって入り、「もし鐘の音が消えたら成仏したと思え」と言って、呼吸するための竹筒をもって墓中の人となったと言います。

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