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おおいしだものがたり 第六十一話 もと下河原にあった「弁財天碑」について

更新日:2016年3月25日

 横山から黒滝地内にいたる道路の側に頭が欠けている「弁財天尊碑」と記されている石碑があります。この石碑は、もと下河原地内にあり、横山側の堤防工事完成前の昭和50年頃に現在の場所より道路の所に移し、道路拡幅により現在地に近い所へ、そして地すべり工事の関係で現在地に移したという経過があります。

 石碑の現所有者遠藤強氏の2代前、遠藤登五郎氏が土地を購入した際にこの碑が最上川に落ちており、あまりにもったいないので畑のまんなかに安置し祀(まつ)ったと伝えています。

 この碑に関して、大石田町指定文化財の「町寄合相談一件」(宝暦13年から)という史料に、明和元年(1764年)3月7日の記事があります。それによると、下河原地内は大石田の土地で、そこに祠(ほこら)がありましたが、「先年洪水」(宝暦7年〈1757年〉の大洪水か)の後、弁財天は愛宕神社の境内に遷宮(せんぐう)していました。このたび神のお告げにより元の場所へ戻したいと、沼沢又左衛門が大石田の惣町に申し出て、遷宮することにしました。最上川の流路変更で川向いの横山続きとなったため、大石田から横山の領地とならないようにしたものです。同月15日に又左衛門宅で、弁天社を再興すること、費用は各自負担することを相談し、材木運搬に横山の協力が必要なため、横山村庄屋へ依頼書を出しています。同月18日に惣町役人らが予定地を見分しましたが、遠いため手前に再興することとしました。

 弁天社の地普請は、6月21日から24日までかかり、柱立ては同月29日に行い、7月26日に完成しました。遷宮式について、行列の役付けと村役人及び関係者は麻の裃(かみしも)でお供すること、弁財天は来迎院が御建てされるのでその守りをすること、供物や飾り、「仮屋」について相談しました。赤飯は村役人等が準備し、酒は関係者が、煮しめ等は又左衛門が世話し、弁天旗は町中寄付、金襴帳(きんらんとばり)を施主が付けることとしていました。

 8月1日に弁財天遷宮。別当として来迎院らの山伏が社に付き添って赤飯を配り、当日は休日とし、たいそう賑わいました。参詣人を船2艘で往復し、横山からは、御神酒・灯明が供えられ、夜まで参詣人がありました。経費は、弁天社の「船中安全」の御札を船ごとに受け取り初穂を出し、村役人等から寄付を受け、残りは船方より出しました。

 この石碑には、建立年月日及び建立者名の記載がなく、いつ誰が建てたものか、はっきりしませんが、弁天社が壊れた後に建てられたものと考えられています。

※弁財天(弁才天) もとインド古代神話にあらわれる大河の神で、音楽や知恵の神、また商売の神、そして水神、特に船の神様としても信仰されました。


「弁財天尊塔」全景

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