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大石田町
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おおいしだものがたり 第六十三話 船橋神社に祀(まつ)られている馬頭観音について

更新日:2016年3月25日

 横山地区上ノ原地内から塩ノ沢に至る道路の側に「船橋神社」があります。そこに碑面が風化して辛うじて蓮座が確認できる馬頭観音の石碑があります(写真参照)。

 この石碑については、地元では次のような伝説があります。

鹿毛馬(かげうま) (横山)

昔、最上川が現在の神社のすぐそばまで流れていて、渡船場だったので、船橋神社の名前があるのだろうといわれています。その御本尊に馬の遺骨がまつられています。江戸時代、葉山の沼の主が山の内の駿馬にみごもり生まれた鹿毛馬がいました。それを横山の八鍬弁助という者が買いとって育てました。新庄の殿様が参勤交代で江戸に上る途中、その鹿毛馬が柵をとんだりして遊んでいるのを見て、是非にと所望しました。そして、江戸に連れていかれた鹿毛馬の秀でているのが、他の大名の羨望の的になりました。時に、江戸で振袖火事が起こり、江戸八百八町を焼き払いました。鹿毛馬は、その火の中を橋や川を渡って多くの人々を助けましたが、とうとう死んでしまいました。殿様は生まれ故郷に骨を持ち帰り、船橋神社にまつったといわれます。(以下略)
大石田町社会科教育研究会等編「わたくしたちの郷土」による。

 この伝説について、後藤家の記録にこの鹿毛馬のことがありますので、紹介します。

(前略)明暦3年の江戸大火の時、新庄藩主戸澤能登守(正誠公)が江戸城本丸の御詰めに、騎馬にて勤務しましたが、その際の馬が横山の鹿毛を用いました。

馬の口取りとして2名、御供に後藤家の先祖があたり、出馬の時には、既に日本橋の辺りは、猛火のため橋を渡ることができなかったので、馬の尾の根元に取り付いて、火中を飛び越え、江戸城本丸に詰めることがうまくできました。お帰り後、御褒美の御詞をいただきましたが、その馬は焼け死んでしまいました。(傍線資料館、以下略)

 とあり、今から348年前、明暦3年(1657年)1月18日に起こった江戸大火、これを「振袖の火事」ともいいますが、その大火の際に、横山の鹿毛馬が新庄藩主を乗せて、猛火の中を江戸城本丸まで運んだことがはっきりと記録されています。ところが、残念なことに、この馬が焼け死んだこともあわせて記されており、地元で言い伝えられてきた鹿毛馬の話が実際にあったことがわかります。

※「鹿毛馬」 鹿の毛色に似たような馬のこと。特にたてがみ、尾、四肢の下部が黒い馬をいい、色の深浅により、「黒鹿毛」・「白鹿毛」などの種類がある。(「国語大辞典」による)

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