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おおいしだものがたり 第百五十一話 惣町(そうまち)大石田6

更新日:2016年3月25日

惣町大石田

5.俗信(1)

 江戸時代の村々では、今では考えられないような俗信があった。これらの俗信をつかさどるのは山伏修験たちであった。当時の山伏は惣町では愛宕神社の来迎院・新町観音の貴宝院・横町の正善院の三院である。
 昭和7年に日食があった。年番よりこの日は遊日(休日)にすることに触れをだし、来迎院では五穀成就の祈祷を行っている。同8月には宵の頃北北西の方の空が赤くなり、夜になるとしまになって光り、町中大変な驚きとなった。後に聞いたところによると、日本国中がこのようになったという。京都土御門陰陽守がうらないをした所、雲焼けというもので、昔2000年前にもこのようなことが起き、この年に大地震があったという。そのため祈祷をして地震などが起こらないようにすること、また流行り病にならないように、尾花沢領分では、一人につき南天の葉一枚ずつ煎じて飲むようにした。これは江戸より申し渡されたことであるという。
 安永2年には、浄願寺・乗舩寺の木より煙がでて、西の方へなびいた。これは羽虫であろうという。明和9年10月夜の6時に光星がみえた。これは火災の祟りであるので、町方は用心するようにと山伏正善院から申し出た。このため町中に触れ、初尾(初穂)を集めることとし、災い転じて福となす祈祷を三山伏に頼んだ。
 ほかに神落としといって巫女とか山伏とかが祈って神霊をわが身に移し神のお告げをきくことや郷日待ちといって、来迎院が祈祷し町から一貫文の初穂をもらっている。
 安永2年5月には、疾病を防ぐために、疾病が町に入りこまないように「道切」と称することを行ない、山伏三院に頼んで、辻道の四ヶ所に札を立てて、疾病を除き道切の祈祷をしてもらった。そして町方家並に祈祷した札を渡し、その上王経・心経のお経をあげてもらい、三院への礼として銭を町中から取り集めている。
 翌年5月にも四日町に疾病が流行った。そこで24日夜には、念仏堂のご本尊を町中まわすこととし、お伴とし四日町・惣町が各々まといをだし、町中各自がちょうちんを灯すこととした。その上町中より初穂一貫七百文を集め、それに四日町より三百文を加えて二貫文として来迎院を湯殿山へ代参させた。
 昭和8年には、天気祭の記録がある。8月2日夜大風雨があり、それとともに所々に獣の毛が降り、21日も不天気続きで作物の実りが良くないので天気祭をした。
 また雨乞いは天気祭よりも大々的に行われた。明和4年7月、惣町の申し合わせで井出の八幡堰で雨乞いを行った。出席者は山伏・惣町役人全員・井出村を含めて町中全員が四日町観音堂に集合、八王龍王の旗を立てながら行列をつくって八幡堂にむかう。酒4斗3升を準備し、内3升上酒は神酒としてあげる。5升入りの樽一つは井出村へつかわす。まず八幡堂へお祈りを行い、それから八幡堰へ行って堰上げをする。終わって八幡堂に戻り集まった人々に神酒をふるまう。
 午後2時頃帰ったところ、雨がぱらぱらと少し降ってきた。同27日日にも雨乞いをおこなおうと出発しようとしたら、雨雲ができてきて模様眺めをしていたら、午前8時頃大雨となった。それで上酒をそなえ、名主・組頭・小走とともにそうめんを食べ一日中祝いとした。

執筆者 清水 助太郎氏

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