おおいしだものがたり 第百五十四話 惣町(そうまち)大石田9
更新日:2016年3月25日
惣町大石田
6.娯楽(2)芝居
安永6年6月、津川竹三郎という座元による芝居が行われた。場所は愛宕山である。これは来迎院による奉加願いによる興行である。
同年6月地芝居の稽古をしているという風聞があるので新町清五郎が四日町竜光庵に対し、組頭を通してやめるように申しつけた。
その後四日町次兵衛・本町の千松・新町の太七の3人が願い出て7月の18日・19日は町の観音祭礼があるので舞台踊りをしたいという。これに対して町役人がこの度の風聞が良くないので止めるように申し渡した。どうしても稽古をしたいなら願書を提出するようにと申しつけた。それで3人は願書を提出したが新町の太七は兄弟親類から心得違いであると反対され、千松も役人よりの厳しい申しつけであったという理由で願書を取り下げると言い出した。これでは次兵衛1人のみとなり願い申しかねるということで、3人とも取り下げることとなった。
観音祭礼が終わって閏月7月の初めころより、若者共がしのびしのび、あちらこちらで芝居の稽古をしていた。その後四日町竜光庵に集まり稽古をしていると、小路小路より子供等が集まり見物に来た。かねて叱りおいた芝居であるが、しかたなく見せてしまった。後にはのぼせた者共まで見物に来るようになったので、清五郎を呼んで叱りおいた。清五郎は様々な言い訳をした上で止めさせると言って引き上げた。そんな所へ新町の藤兵衛と本町の喜七が興行願いに来た。彼等が言うには若者共は思いつめて稽古し興行を願っているので、なにとぞお慈悲をもって許可していただきたいというのである。今年は初秋になって良作なので許可することとした。彼等が申すには芝居にかかる経費は自分達で持ち、火の用心や喧嘩・口論が起きた場合にも、責任をもって取締まるという内容の証文を提出した。桟敷については、高桟敷とお役所桟敷2間、3ヵ寺桟敷3間、修験1間、医者2間、名主組頭8間を彼等が準備する。さらには町より人足を頼んで両側に15間ずつ30間の桟敷を作ることとした。
いよいよ閏7月23日夜翁渡しから始めたが、あいにく雨が降り出し、やめずに続けたので見物人が難儀をした。6日間興行し、千秋楽にて無事終了した。
安永3年7月におぼろげ村で曲馬と狂言の興行があった。大阪下りの矢竹友江という者で馬乗りは村上平蔵、ほかに8名・9名がいた。
興行ではないがどんづきなども楽しんでいた。同年4月11日までに浄願寺で2回のどんづきがあった。つき手の者は一双の浴衣を着て様々な拍子をとりながらついた。当村の旦那の家から手伝いの人足が参った。見物に来た近村の人々も一緒についた。この時は丁度山桜が満開であった。
寺内村の円了と言う僧が参って様々な狂言をして花をそえた。張番所を設け名主の半右衛門・庄兵衛・組頭又左衛門が代わる代わるついた。この時宗左衛門が大きな石を浄願寺に納めた。
執筆者 清水 助太郎氏
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