おおいしだものがたり 第百五十八話 惣町(そうまち)大石田13
更新日:2016年3月25日
惣町大石田
8.雪と飢饉
(2)飢饉2
天明4年2月9日、猿羽山の道の脇に旅人がうち殺されていた。首を切られ、頭は頭巾綿帽子の上を手ぬぐいで包まれ、紺のもも引きをはいていた。名木沢の者が松皮はぎに行った時見つけたものである。そこで尾花沢から貝塚様が見分吟味においでになり、舟形と尾花沢の間の問屋と年寄が立ち会いをさせられた。
この頃に飢人が日増しに多くなった。彼らはかっけや青ぶくれとなり、また乞食も多く出てまいり、粥の炊きだしもいきとどかない。さらには疫病もまたまた流行りだした。
3月に入って黒滝の渡し守は町から給銭をもらって雇われていたが、蕨の根掘りに出かけて留守がちであるので、渡し船1人につき3文ずつ銭をもらうこととして、渡し守を新たに雇っている。
同月29日には、下郷の村々の疫病人に薬を飲ませるために、その人数を報告している。そして原因として凶作で粗食であり、その上寒中に薄着で生活していたためとしている。(総人数693人、服用薬34,650服、25日分、金額金67両1分永51文)
5月15日、四日町で疫病にかかった人は89人いたが、34人に減少、内16人が死亡している。
6月30日、四日町借地の連中が観音堂に集まり、次のようなことを話し合った。近頃四日町の屋敷内の菜園や畑から、夕顔・茄子などに至るまでの作物が盗まれている。また船をつないでいた鎖を抜き取ったり、積み荷を盗んだりする者があらわれている。ここ両日には、酒田船より米2俵取られている。
このようなことでは大変なことなので、与十郎を呼んで捜索してもらうこととした。彼は下の端の家から全部の家々を吟味したところ、以前古口から引っ越してきた長太の家の下敷きと天井から、小麦わら2・3駄出てきた。彼は畑作をしていないので盗んだこととなり吟味したところ白状した。
罰として川に沈めて殺そうとしたが、村から追放として猿羽山まで見送り、行方知らずとなり、人別帳から帳はずれとした。以上のような惨状を記録しているが、また意外な光景もあらわれていた。
2月21日の記録によると、昨年の冬頃から今日まで辻小路に小屋かけをして、食物店があらわれた。この当時は疫病が増え、飢人があり、町中を乞食が徘徊をしている時である。その食べ物の種類をあげると、次のようである。
にぎりめし にしめ 豆餅 いもご餅
小豆餅 牡丹餅 松皮餅 あさつき餅
あげ餅 いご餅 粟餅 しいな餅 栗餅の13種類の食べ物である。
一方米不足の中で密造酒作りをする者もあらわれた。1月5日、四日町の万吉が濁り酒を買ってすずに入れて帰ってくるところを、小走りの与平治に見つかった。買った先を聞き出すと、同村の喜平治からであるという。そこで村法によって、売った喜平治、買った万吉、番台地主の3人を過料として、10日まで納めるように申し渡した。
(次回に続く)
執筆者 清水 助太郎氏
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