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おおいしだものがたり 第百五十三話 惣町(そうまち)大石田8

更新日:2016年3月25日

惣町大石田

5.俗信(2)

 宝暦14年6月21日、町の人足が24日まで地ならし普請を行い、29日には柱を立てた。7月26日にはようよう社ができたので、惣町役人が寄合い遷宮の相談をした。役人や重立衆は麻上下かみしもを着て遷宮の供をすること、赤飯は役人8人と重立衆8人で準備すること、酒は重立3人と酒屋で準備するよう申しつけた。煮しめそのほかのものは又左衛門が世話することとした。
 8月1日は遷宮の日である。川端町より3人乗り船で、3人の山伏が付き添いお移しした(3人乗り船とは3人で運転する意)。この日は触れを回し町中休日とした。弁才天の参詣者を渡すために、惣町で2人乗り・3人乗りの2艘の船を雇い用意した。横山村の庄屋寺崎仁右衛門も参詣にまいり、御神酒をすすめた。参詣者には、赤飯と御神酒をふるまった。
 なお、船中安全のお礼を船へ配り、一艘につき24文の初穂をもらい、さらに11人(重立衆か)からは100疋(1貫文)の銭の寄付をもらい、不足の分があれば船方よりももらうこととして社を建立した。
 安永4年4月高桑宗左衛門より、井出道にある石橋のことについて、次のような申し入れがあった。この石橋の石には、梵字が刻まれており、こわれているが、昔は橋でなく塚に建っていた供養碑であった。そこで、この石碑をはずして道脇に建立したい、石橋のあとには別の石か板を渡し、根石は宗左衛門がもつというのである。
 安永6年3月、井出役人の文助より組頭の平四郎へ、次のような連絡があった石橋は何時のころか、何者かわからないが、供養碑を石の橋にしてしまった。この度、井出村で神落としをしたら、石橋を普請し建て直しをすれば両村共に裕福になるという勢至菩薩のお託宣があったという。このことについて、先に宗左衛門より普請の申し入れがあり、寄合をし石橋を建て直し材木でかわりの橋をかけることとした。

6.娯楽(1)相撲

 宝暦14年8月、組下の又右衛門から勧進相撲の願いがあったが、新町より江戸出府もあり、盆中でもあるので取り上げなかった。ところが朧気川の今宿領で興行が行われるという風聞があり、その場所は当町と軒続きであるが他領なので禁止するわけにはいかない。この事について役人相談の上、当町の者は相撲見物には行かない、相撲場普請には雇われないこととした。ところがその晩に正厳村の小柳・今柳の両人が年番宅に踏み込んできた。何故禁止したのか理由を聞きたいという。早速役人が相談し、明日早朝に返事をもらいに来るというので惣町中の人々が西光寺に集まり寄合をした。そうする内に夜も明けてしまった。翌日早朝本町の太右衛門等3人が尾花沢役所へ訴えた。役所の御用達の理右衛門・宇右衛門から内済にするよういわれた。同年9月、井出寺内において9日より13日まで勧進相撲を興行した。地蔵開眼のためである。開眼とは仏像が完成したので、はじめて供養するという意味である。これは普門寺の願いによって行われた。10日には井出の文助の招待で町の役人が見物に出かけている。

井出八幡神社の石碑

執筆者 清水 助太郎氏

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