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おおいしだものがたり 第四十三話 新発見の大石田川船役所の史料について

更新日:2016年3月25日

 今から211年前の寛政4年(1792年)8月、大石田に幕府の川船役所が設けられました。これは、当時最上川の川船差配役制度が混乱し、円滑な河川交通が行われなくなったため、幕府が最上川舟運を直接支配するために設置した役所です。
 幕府が派遣した川船役所の役人は、尾花沢代官所(幕末には寒河江代官所)から1名派遣されており、いわば尾花沢(寒河江)代官所大石田川船管理事務所長として、最上川の河川水運を管理する「大石田詰」めの役人として執務していました。川船役所には、地元採用の役人が2人おり、神部家と遅沢家の両家が代々勤めていました。

 今回発見された大石田川船役所関係史料は、川船役人神部家の2代目にあたる神部鉄五郎(後に喜左衛門を襲名)吉命が、嘉永4年(1851年)筆写した「大石田川舟方手扣」と表書きされた川船役所行政手引書(執務要領、いわゆる行政マニュアル)で、横浜市の神部芳則氏所蔵の古文書です。これは、川船役人が業務を円滑に遂行するために必要事項を記録したもので、これまで全く知られていなかった最上川舟運史上貴重な史料です。
 内容は、32項目から成り、基本規定である川船御条目と川高札の写し、難破した際の取扱い、幕府年貢米等の廻船規定、年貢米の減米算法、運賃・積荷規定である御城米や商人荷物の川下運賃・役永及び商人荷物俵直、酒田登荷物積高運賃付、また降雪期の商人荷物増運賃、私領の荷出役永、海上運賃、商人荷物荷積高、口留番所と私領川下送状、参考資料として川船の寸法、最上川の舟路、最上三河岸の事、酒田や清水の空船積仕来書、大石田の戸数と人口、最上川三難所の場所、川船役所の創立年次、川船差配先例、最上惣舟持と舟数・舟頭名前書等が記録されています。

 この史料について、山形大学名誉教授横山昭男先生は、「川船役所の行政内容が具体的に記録された史料は、これまで発見されておらず、きわめて貴重な史料」と高く評価されています。
 今回、第16回国民文化祭・やまがた2003大石田町主催事業として、大石田町立歴史民俗資料館で10月4日(土曜)より同月13日(月曜)まで、それ以降11月3日(月曜)まで資料館特別展として公開予定です。

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総務課 総務グループ
〒999-4112 山形県北村山郡大石田町緑町1番地
電話:0237-35-2111 ファックス:0237-35-2118

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