おおいしだものがたり 第五十話 大石田の絵馬について
更新日:2016年3月25日
大石田町に残されている絵馬は、現在200面ほど確認されています。かつて、いかに多くの人々がさまざまな願(がん)をかけたかを知る1つの手がかりになるとともに、その願いが神仏に聞き届けられた時の感謝のしるしということで奉納する奉賽物として、絵馬が献じられていたことをあらわしています。
絵馬のおこりについては、馬が古くから神の乗り物と考えられ、精霊馬、産神迎え、道祖神送り馬などさまざまに登場しますが、それらは、大きく2つに別けて考えられています。ひとつは、神の乗り物としての献上馬であり、もともと生きた馬を献じていたことが、馬のもつ経済性から絵馬にかわった、という考え方です。もうひとつは、神の乗り物ということから派生して、馬に神へのお供えを運んでもらう、という考え方です。
ところが、時代が下るにしたがって、その当時の人々が持つさまざまな願いを祈念するひとつの方法として、絵馬に託すことが一般化され、特に江戸時代以降になると、さまざまな内容をもった絵馬が数多く奉納され、現在に至っています。
大石田町登録文化財として登録されている貴重な絵馬のうち、今回は、典型的な絵馬2面を紹介します。
牽馬(けんば)図絵馬(元禄11年奉納)
愛宕神社の「牽馬図(けんばず)絵馬」
町内愛宕町の愛宕神社に、今から306年前に大石田本町の設楽太右衛門が奉納した絵馬で、町内で2番目に古い図柄のよく整った典型的な大絵馬です。
図柄は、中央に白馬(神馬)、前後に3人の神官と2人の平侍風の武士が描かれています。
神官は、それぞれ三宝に宝玉、天狗の面に錫杖(しゃくじょう)(猿田彦を表し、「馬曳き猿」を表現したもの)梵天といった神具を持っています。神馬が白馬であることから、日乞い(祈晴)を祈願した絵馬とも言われ、その御利益か四日町の記録では、その年は豊作であったようです。
鷹鍬図絵馬(寛保3年)
井出八幡神社の「鷹鍬図絵馬」
町内井出の八幡神社に、今から261年前に山形藩領大石田村の大庄屋高桑惣左衛門父子が奉納した絵馬です。絵は、狩野勝信(履歴等不詳)が描いたものです。
図柄は、鍬に鷹が止まっている図で、絵で文字等を表し、意味を持たせる絵馬のことを「絵解き判じ物」といい、この絵馬の場合、鷹と鍬で奉納者の姓「高桑」を表しており、「絵解き絵馬」としては町内で唯一のものです。
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