おおいしだものがたり 第百九話 「最上川舟運の話」 その23.舟運の仕法(やり方)の変遷(3)
更新日:2016年3月25日
大石田中継河岸の独占的差配に対する反対運動
大石田河岸の独占的差配に対する上郷商人の反発が巻き起こる。漆山・寒河江代官支配の村々60か村の商人・百姓が連印をもって幕府に訴える。その代表は、漆山村の小暮七左衛門、成生村の奥山九郎兵衛であった。
訴訟の主な理由は以下である(『大石田町史 史料編2』「船道取放ニ相成候訳」)
(1)船の指し向け方が一方的である。
上郷では船を持っていないという弱みに付け込んで、大石田商人荷物を優先し、上郷の商人荷物は後回しにされるため、商い相場はことごとく狂わされる。
- 延滞に合い、ふけ米がでるほど引き伸ばされ、「御付紙」を貼られて戻されることもしばしばあった。
- 紅花や青苧等取り急ぎ送らなければならない場合には、60里から70里もある野州(群馬)の阿久津まで馬づけ(陸送)しなければならないこともあった。
(2)大石田河岸では、多くの船を所持して独占体制をしき、他所の船を完全に排除する
「其の節、大石田河岸以外の村では※ひらた船御座無く候」
(『大石田町史史料編2』所収「最上川船差配転変之姿」)と言われるように、酒田船以外では、大石田が独占的に川船を所持していたことが分る。
勿論、清水河岸や上郷地域でも多少の船数は所持していたが、大石田の比ではなかった。特に上郷地域の所持船には、大石田河岸からの借用船が多かった。
(3) 商人荷物の運賃を、割増運賃と称して勝手に引き上げる(増運賃の要求)(『大石田町史 史料編2』「船道取放ニ相成候訳」)。
- 10月以降になると、朔日増、15日増、晦日増と称して増運賃を求める。
- 11月から12月になると、更に増運賃をとる。
- 品物によっても増運賃をかける。
(4)大石田は中継河岸を悪用して、上郷の村々で高値で売れそうなもの品ばかり上す。
大石田河岸は村山地域の入り口に位置しているため、そのことをいいことにして、大石田だけの問屋、商人、船方が結託して、上郷の地域で高く売れそうな品物ばかり積み上す。
享保7年以前には、村山地域において大石田河岸は独占的に※ひらた船を所持していたため荷物の中継、船配りなど一方的に行い、賄賂が横行するなど、我意を通すようになり、やがて上郷村々の百姓、商人等の不評をかい、反発をうけるようになる。
大石田河岸の中継を止めさせること、上郷地域に新たな河岸を設けることを求めた運動が巻き起こってくる。
黒滝橋より上流をのぞむ
執筆者 小山 義雄氏
※ひらたは舟編に帯
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